気まずくなった友達との関係を修復したい

Q. 大好きな友達から嫌われてしまいました。

そのときには気がつかず、私も配慮のないことをしてしまったと思う点があるのですが、本音をぶつけて謝ることもできない雰囲気でとても悲しくやり場のない想いがしています。

メールで謝ったのですが、それについての返信はなく、友達の中で私に対して何かあったであろうときから、必要事項の連絡にはその最低限のみの返事はあるものの、今までのような気軽であたたかい友達関係からは想像のつかぬような、すっかり今までの友人関係はなかったかのような気まずい関係が続いています。

私はまた以前のような友人関係に戻りたいと思っています。

ですが大人になってしまうと変に気を遣ってしまい、どんな風にこの状況を変えることができるのか、手も足も出ません。

友達に対して私がそこまでひどいことをしたとも私としては考えが及ばず、とても不思議な気持ちと、大変悲しい気持ちと、勝手に長い間怒っている友達に対し怒りのようなものも感じます。

この状況が辛いのですが、また友達関係に戻ることはできないのでしょうか。

A.

あなた自身が誰かを好きであることは、素晴らしいことです。

ですが多くの人、多くのマインドは「好きでいること」に交換条件を付けはじめます。

「自分が好きでいるのだから相手にも好きになってほしい」「いや、好きになるべきだ」そういった思いを意識的、そして無意識的に感じていきます。

そして意図せぬことが起こったとき、自分で本当は抱いている相手に対する愛ではなく、自分が傷つけられたことに対する痛みや、痛みから自分を守るための怒りとしてそれを感じ、表現していきます。

あなた自身に対して今起こっていること、それは2人のコミュニケーションがうまくいかなくなっているということです。

あなた自身が相手に対して自分のハートを開き、そして歩み寄ることを難しいと感じてしまい、そして難しいと判断したとき、2人の関係性はうまくいかなくなってきました。

お互いに「自分が傷つけられた」と感じています。

そしてこの2人の縁がうまく生かせないままでいます。

あなた自身の思いの中で、「相手を傷つけるつもりはなかった」、その思いを伝える必要があります。

コミュニケーションとは、分離している個人と個人がつながりを感じるための道具です。

しかしこのコミュニケーションが不完全な道具なため、よくコミュニケーション不全を起こしてしまいます。

2人の個人がいて、もしくは2つ、それ以上の個人や団体がいて、その中でつながりを作り出していくのがコミュニケーションであるならば、また分離を深めてしまうのもコミュニケーションの失敗によるものです。

コミュニケーションに「正しいやり方」、「うまくいくやり方」を求めないでください。あなた自身の愛とあなた自身の本当に感じていることを表現することが求められているだけです。

そこに相手の反応も入れないでください。

相手の反応に合わせて自分が何かを発言しようとすると、そこで自分の気持ちが押し隠されてしまいます。

あなた自身が相手の反応に合わせてコミュニケーションするということは、実は相手をコントロールしようとしていることだということに気がついてください。

コミュニケーションは本当にひとつの手段にしかすぎません。

本当に伝えるべきは、あなたの愛なのです。

あなたが謝ることも愛になりえます。

謝ること、それはあなたが罪人になるということではなく、傷ついた相手を気遣うということだからです。

傷ついた相手の痛みをわかってあげる、そしてそこに歩み寄り、共に癒していく行為、これが謝るということです。

ですので、あなたが謝ることは相手に愛を伝えることでもあります。

相手がその人自身の感情を処理するために時間が必要なこともあります。

待ってあげることも愛の表現です。

あなたがそのつもりで行えばそのすべては愛の表現になります。

そしてコミュニケーションがひとつの道具だというのは、そのときに相手に伝わりやすい方法を見つけてあげるという意味で道具です。

実際肉体を持っている私たち、分離を感じている私たちのマインドは、愛をそのままの形で受け取れない場合もあります。

そのために「コミュニケーション」という道具があります。

相手がそれを受け取りやすい形とはどんな形だろうか?

それを、愛を持って見つめていてください。

あなたにそのコミュニケーションをつくり出す勇気をサポートしたいと思います。